韓国では、12月3日の夜に尹大統領によって非常戒厳の宣布が発表されました。
しかし、国民による抗議もあり、さらに反対する議員が集まって反対することが決議された結果、翌日朝には解除されたのです。
予想だにしない出来事に国民も唖然としていましたが、なぜ戒厳令の発動が必要となったのでしょうか?
戒厳令発動の背景
韓国では、12月3日夜に非常戒厳を宣布すると大統領が発表し、韓国の国会に激震が走ることとなりました。
北朝鮮の脅威にさらされていることや反国家勢力がいることなどが理由として挙げられ、戒厳令によって秩序を守るのが目的ということでした。
前回の発動から40年以上が経過しているのですが、今回発動された本当の理由は本人が追い詰められていたといのが本当の理由とみなされています。
尹氏は、保守強硬派の候補として2022年の大統領選挙で勝利したことで大統領に就任したのですが、2024年4月の総選挙では野党が圧勝したのです。
国会で法案を決議にかけても野党の反対によって通らなくなってしまったため、できることは野党の法案に拒否権を行使することしかありません。
さらに、汚職スキャンダルも複数報道されていて、特に尹氏の妻は高級ブランドのバッグを受け取った疑惑や、株価操作に関わった疑惑などが浮上しているのです。
支持率も17%前後まで低下していて、低水準のまま推移して復活の兆しもない状態となっています。
尹氏はテレビの全国放送において汚職に関しての謝罪を述べ、夫人の職務を監督する事務所の設置を発表したのです。
しかし、一方で野党から求められた本格的な捜査については、捜査を受けたり協力したりすることを拒否しています。
そして、野党は政府予算案を大幅に減額することを提案したのですが、大統領には予算案に対する拒否の権限がないのです。
閣僚や検察の上層部に対しては、正式に大統領夫人の捜査を行わなかったことに対して苦情を述べています。
では、なぜ追い詰められた状況の中で、いきなり暴挙ともいえる行為を行ったのでしょうか?
韓国メディアの報道では、支持率が大きく落ち込んだうえ株価操作などの夫人に対する疑惑によって、政権が立ちいかなくなると悲観したこと原因とされています。
追い詰められて、もう失うものはないと考えた結果、賭けに出たのが戒厳令ではないかと推測されているのです。
大統領は元検事総長であるため、一度決めたら根回しなどが不十分でも突き進むタイプだという分析があります。
今回も、独断であるものの軍が従うと考えていたのですが、独裁政治時代から40年以上が過ぎて軍の考え方も変わっているのです。
また、国民も前回のことに対する記憶がまだ新しく、嫌悪感を抱いているという点を見誤ったのではないか、と推測しています。
そもそも非常戒厳とは?
そもそも非常戒厳、あるいは戒厳令というのは何かというと、現状を非常事態だと判断した場合に行われる措置です。
発動すると法律の効力を部分的に停止して、民主的な政治活動や市民生活は軍事力によって制限されてしまいます。
韓国では、戦争に準じた非常事態が起こった場合は、大統領が非常戒厳を宣言できるということが憲法で定められているのです。
韓国でなぜ存在しているのかといえば、北朝鮮との戦争が勃発した時への備えという面があります。
今回の発動の理由としては、北朝鮮とつながりのある野党議員がいるため、国家転覆を防ぐためだとして正当化したのです。
戒厳令に関しては、国会議事堂で攻防が起こっており、憲法では過半数の議員が要求した時は解除することも定められています。
今回は規定に基づいて、国会に集まった議員によって議決がとられ、過半数の同意に基づいて戒厳令は解除されることとなったのです。
44年前の戒厳令では、光州事件と呼ばれる多くの市民が犠牲となった事件があり、軍は有力な政治家を軟禁して国会を占拠していました。
機能を封じることで、国会での議決を取ることができなくなってしまい、解除することができなくなっていたのです。
尹大統領は今回も同じようになると想定していたと考えられており、軍を国会に向かわせるのと同時に有力議員の逮捕を考えていたこともわかっています。
しかし、議員が国会に駆けつける方が早く、戒厳令を解除する要求の議決を素早く取っており、市民も街頭で抗議していたことで、軍はおとなしくなったのです。
大統領は情報の共有もごく一部としかしておらず、国会を封鎖する準備も整っていない状態の中での戒厳令の発動となっていました。
4日未明に集まった与野党議員は定数300人のうち190人で、全員が非常戒厳の解除要求に賛成したのです。
議決後も、議員たちは政府によって議会の解散が強行されるのではないかと警戒し、議席に留まり続けました。
今後の韓国の動きは?
非常戒厳の宣布に多くの人が驚き、国民は非常戒厳が何のために宣布されたのかを解除までの6時間で考え、混乱していたのです。
野党の動きは素早く、国会での非常限界の解除要求を議決したため、軍と警察が出動していたものの首都を掌握することはなくなりました。
今後どのような展開になるのかはまだはっきりしておらず、国会前に3日夜に集まって抗議していた国民は、尹大統領の逮捕を求めているのです。
韓国の国民は、かつての独裁政権時代が終わり、韓国は自由が認められる国となっていることを誇りに思っています。
韓国の国民は時刻を民主主義国家と考えているため、今回の非常戒厳の宣布は近年最大の挑戦とみなされるでしょう。
民主主義国家としての評判に対しては、以前の米議会議事堂襲撃事件よりも大きなダメージとなるのではないか、とも考えられています。
まとめ
韓国の尹大統領は、非常戒厳を宣布したのですが、翌日未明には国会議員の過半数の賛成を持って解除が決議されました。
わずか6時間ほどの戒厳令となったのは、尹大統領が政治的に追い詰められたことで苦肉の策として行われたというのが有力な説です。
韓国では過去に戒厳令が発動された際に多くの市民の命が奪われたということもあり、今回の出来事は大きなダメージを受けることとなりました。